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【起業家インタビュー】誰もが、かんたんに、無理なく、支え合える社会を目指して「P2P保険」が紡ぐ助け合いの絆

<インタビューイー略歴>
富永 源太郎氏
Frich株式会社 代表取締役
 
東京都出身。全日本空輸株式会社 (ANA) 及び全⽇空商事株式会社にてマイルやカードビジネスなど⾮航空領域の新規事業開発を 10 年間経験した後、Frich 創業。

海外と比較して、自然災害が多発している日本。内閣府のHPで、大規模地震災害による人的被害予測が行われおりますが、要救助者の救出方法として約20%は「警察、消防、自衛隊による救出」、残りの約80%はなんと「近隣住民等により救出される」という試算があります。世の中の変化に合わせて人々のライフスタイルも大きく変わり、当たり前のようにあった「ご近所付き合い」が希薄化してきている中で、「自分を第一優先に考えることと他人を支えることは必ずしも相反する価値観ではない」と現代社会の実態に合わせて新たなコミュニティ作りに取り組むFrich株式会社。自分自身、また自身の守りたいものが守れるように、日頃からなるべく顔の見える小さなグループ(コミュニティ)を持って活動しておくことが重要だと考え、新しい保険のコンセプト「P2P保険」によって新たな「当たり前」を作り出そうと奔走する代表の富永氏にインタビューを行いました。


起業のきっかけはたまたま訪れた、会津若松市

まずは大学卒業後からの今に至るまでの経緯を教えてください

富永氏(以下富永):慶応大学を卒業後、現在は上場しているコールセンター業の大手企業へ就職したのですが、2年ぐらいでやめました。理由としてはとても営業が強い会社で、私自身が学生時代に思い描いた理想像とは離れていて、もう毎日テレアポ、毎日飛び込み営業(笑)。もちろん得られるものはあったのですが、自分自身のキャリアを描くことができないと思い、退職を決意しました。その後は観光関連の団体へ転職し、新たな観光の仕組み作りに挑戦しました。そこでの仕事は非常におもしろく、やりがいもあったのですが、ある時私が働いていた団体にANA(全日本空輸株式会社)から出向者が来て、その方とともにプロジェクトを進めている際に「まだ若いのに、こんな安定したところにいていいのか」と言われたんです。当時はここで頑張ろうと固い意志を持っていたのですが、そんなことを言われると色々考えてしまいますよね。まだ20代だったし、これから先何十年も働かなければならないと思うと、もう少し自分自身に力を蓄えるために、ある意味唆されるような形で転職をしました(笑)。

ご自身の「成長」に貪欲ですね。転職後はどのような仕事をされたのでしょうか

富永:転職後すぐに、一緒にプロジェクトを進めていた方の直下に配属されました。そこはマイレージを管轄する部署で、ANAをご活用いただくお客様向けに様々な企業様との業務提携を行いながら、マイレージを様々なポイントに変換し、ご活用できるようにコーディネートをする仕事をさせていただきました。お客様からのオーダーが非常に多い部署でしたので、毎日必死に対応していたのですが、それに加えて、上司がアイデアマンで、様々な課題や新たな企画を引っ張ってくるので1つ1つやり切るのが大変でしたね(笑)。ただ、そういった環境にいたおかげで数々の新規事業に携わらせていただくこともできました。その後は社費留学で語学留学させてもらったり、戻ってきたらまた新規事業をやらせてもらえたり、最後は会社として最も力を入れている装備品調達部門への異動を用意していただきました。

-順風満帆にキャリアを築いてこられていますが、そのまま歩もうとは思わなかったのでしょうか

富永:重要なポジションを用意いただけたのはとても有難いことでしたし、会社には感謝しています。ただその部署の仕事は私の今までのキャリアに全く関係のない仕事だったのと、新規事業を創ること以上の興味を持つことができませんでした。当時、私は40歳手前くらい、社会人として脂の乗っているタイミングでした。どうせ自分が積み上げてきたものが0になるなら、自分の力を世の中に発信していきたい、いつの間にかそういう想いを持つようになっていました。そんな状態の中で、たまたま仕事で会津若松市を訪れることがあったのですが、そこで会社を出る決心がついたように思います。東日本大震災が発生したのが2011年3月で、私が訪れたのが2016年頃だったのですが、5年経っても避難所まだたくさんあったんです。もちろんそのような環境で生活している人がいることは知っていたのですが、日常の忙しさにかまけて知らないふりをしていたというか向き合っていなかったことは事実としてありました。この社会問題の解決方法を模索していく中で、海外ではFintechの次に“InsurTech”がきてるぞという情報をキャッチしました。「P2P保険」というものを調べてみると、以前から日本にあった「共済」という特定のコミュニティで、みんなでお金を出し合ってセーフティネットを張ろうという動きと一緒だったんです。これなら日本でもすごくはまると思い、誰もやっていなかったし、これから来るといわれているのだから飛び込んでみようと思い、起業するに至りました。


人や社会が抱える課題を解決し、多くの人を喜ばせたい

-起業という選択をされましたが、会社員時代と比べて何か変化はあったのでしょうか

富永:難しい質問ですね。結局どこで何をしようとも自分は変わらないという意味で言うと、私は大きな会社に身を置いてはいましたが、新規事業をやっていたせいか組織の中では常に少数派でした。要は大多数の人に対して「こんなやり方の方が良いものができますよ」と提案する存在だったんですよね。スタートアップ・ベンチャー企業というものは社会的には少数派ですし、会社という単位でみれば経営者も少数派ですので、自分自身の置かれている立ち位置みたいなものに変化はありませんね。ただ会社を立ち上げるということに関しては0から100まで自分自身でやらなければならないので、その大変さを痛感しています。

様々な大変さを感じた中で、起業して最初に直面した課題はどのようなものだったのでしょうか

富永:自分がやろうとしているビジネスがどういう立ち位置で展開できるものなのかを明確にすることに時間がかかりましたね。「P2P保険」というビジネスは法律がすべての根源にありますので、保険業法とどういう関係として位置づけられるビジネスなのか、規制のサンドボックス制度を使って内閣府と金融庁とセッションしてみましたが、結果的に2年ほど時間がかかりました。当然その期間は収益を生まない状況が続き、やきもきする時間が続きました。大きな社会課題に向き合っているためそれなりに時間がかかると覚悟はしていたものの、本当に最初から「大誤算」でした。スタートアップは思い通りにいかないことが普通だと言われますが、そのとおりでしたね(笑)。

立ち上がりにかなりご苦労をされたのにも関わらず、よく諦めずに続けられましたね

富永:誤算は誤算でしたが、振り返ってみると、この出来事を乗り越えたことが自信につながりました。事業を開始した当初、「保険の素人が何を言っている」と冷たい見られ方をすることがありました。仲間内では「法律の壁はやっぱり厚いね」となんだかもっともらしいことを言っていた時期もあります。ですが、こうした壁を乗り越えられるかどうかは、やはり起業時のモチベーションが重要なのだと思います。「このやり方でやれば、ぱっと金儲けできるのではないか」という感覚で起業していたらきっとこの辛さは乗り越えられていなかったでしょう。起業の原点にある体験や想いが強烈であるほど踏ん張りが利くのだと思います。私の場合は会津若松市でみた避難所の光景がずっとモチベーションになっていて、この大きな社会課題を解決できるまでは諦めることはないのだと思います。


誰かの「大切なもの」を守ってあげられるサービスに

-辛さはなかなか人に共有できない。そうなるとFrichというサービスは使ってもらえるのでしょうか

富永:助けてほしい人はやはり「声をあげられない人」だと思っています。助けてほしい人は手を挙げてください、と声をかけてもなかなか難しいだろうなとは社内でも議論している問題です。

我々が出した結論は「Frichを社会インフラ化する」こと。サポートが必要な人が、気づくと特定コミュニティの輪の中に入ってコミュニティの一員になっているという状態を作りたいと考えています。そのための手段として自治体との連携が必要不可欠だと思っています。自治体での何かしらの手続きのついでに特定コミュニティに入ることができる仕組みを作れたら最高です。

ちなみに我々のサービスはInsurTechと言われているけれども、保険ではありません。保険会社が得意な領域は不特定多数の方に分厚い補償を提供できる点です。Frichは逆に、特定コミュニティに対して痒い所に手が届くような補償サービスを提供することを得意としています。したがって、自治体や保険会社がカバーできないようなニッチな分野を綺麗に整えてインフラ化していくことがFrichのミッションなのだと思っています。

⁻「インフラ化」というのはすごく大きな目標だと思いますが、具体的にどのような取り組みをしていくのでしょうか

富永:起業して5年ほど経過して、当時は曖昧模糊とした中でやっていたことが、だんだん具体的になってきました。現在の当社の強みは、あくまでも「特定ニーズに根差した商品を作ること」にあって、「社会にインストールしていく」というところには至っていません。すなわち「営業力」という部分が非常に弱いと思っています。したがって、当社商品によって「このような支え合いができる」と様々な可能性をアピールしていきつつも、その社会実装のためには自治体や保険会社との連携を深めていきたいと思っています。彼らから商品開発のオーダーがあればそのニーズに合わせて我々がオーダーメイドで商品を作ることで幅広いサポートニーズに応えることもしていきたいです。各プレイヤーが自分の得意分野をカバーしつつ、セーフティネットというインフラが面的に拡大していければと思っています。

-なるほど。とはいえ、保険というものは何が良いのかわかりづらく個人の「理解度」を深めていくことも重要そうですね

富永:そうですね。ただ、私個人としては保険の領域において日本は世界最先端だと思っています。日本は様々な分野で「共済」がありますよね。だから共済が掲げる相互扶助の理念自体はご理解いただけているのだろうと思っています。が、一方で「使い方」の部分に関してはよくわからない。声をあげられない、本当に助けを必要としている人がちゃんと理解をして「これがいい」と正しいものを選ぶことは非常に難しい

ですから、理想としては、自分に最適なものに無理なく入れるし、かんたんに辞めることができるという状態を作りたいと思います。そのために今工夫していることとして、親が子供のために共済へ入る、子供が親のために共済に入るという流れを作り出そうとしています。家族というのは人が生活している中で最も小さな単位のコミュニティだと思っていて、子供が進学や就職などで実家を離れた際に遠い土地でも子供のサポートができるサービスであったり、逆に親の介護が必要になった場合に子供の代わりサポートをしてもらえるサービスを作ったり。誰かを助けようとする際に「自分のために」というモチベーションでやる人はあまりいないと思っていて、「自分が大切にしているものを守れるように」そのサポートを充実させていきたいと考えています。

-この数年で保険・コミュニティの重要性を認識する出来事がありましたが、今後Frich はどのような価値を社会へ提供していくのでしょうか

富永:ここまでお話させていただいた通り、我々は誰もが知らず知らずのうちに守られている状態を作りたいと思う一方で、必ずしも全ての方を救えるかと問われるとそうではありません。助けられるか助けられないかという0か1かの議論ではなく、助かる確率を上げられるかの議論を世の中にしていきたいと考えています。例えば災害が発生した際、消防や自衛隊が助けに来てくれるものの、彼らの中には優先順位があり、助けに行くべきか、否かを明確に割り切っている部分があります。いざ助けを必要とするタイミングに誰にも助けてもらえない状況に陥る前に、500円でも良いから支払っておけばその時の安心が買えるよね、という世界にしていきたいです。またこのサービスを通じて、世の中の人々の人生における可能性を大きく広げたいと思っています。保険には逆選択の回避という大原則があって、健康状態が芳しくない人など、保険金支払いが確実視されている人は保険加入をお断りせざるをえないという「課題」があります。でもFrichはそういう人たちにも「どうぞ入ってください、いつでもウェルカムです」と言える仕組みにしていきたい。もちろん保険のような分厚い保障はできないけれど、これくらいの金額ならば、あるいはお金ではなくこうしたサービスなら提供できる、という形にしていきたいです。

0か1かという議論ではなく、その間にある小数点の世界を大切にしたいと考えています。これからもFrichの社会実装を積極的に進め、すべての人が安心して暮らせるようなサービスを提供していきたいです。